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【原神】魈(ショウ)の好感度ストーリーを完全翻訳!璃月を守る理由-殺戮の歴史と祭りの真実

魈の好感度ストーリーを、日本語の文法ルールに則って読みやすく再翻訳しています。YouTubeにて朗読会もしています。

物語をゆっくり朗読

Profile


 魈の見た目は少年そのものであるが、実年齢はすでに2000を超えている。


 だが、彼のことを見た目で判断する者はいない。

 なぜなら、少年から溢れ出るただならぬ気配が、彼は只者ではないと本能で感じ取るからである。

 それは剣呑や畏怖の念、無口で刃のような鋭い視線を向けられた者は、そのような感覚に陥ってしまう。


 魈は成し遂げてきた偉業や世代も仙人の中では上位に位置するが、人々の間ではその名声はあまり知られていない。

 なにせ、彼は金運や幸運をもたらす仙人ではない上、絶雲の間で暮らす仙人のように、人々から象徴とされるような仙人でもない。


 そして、仙力を使っている魈を見た者がいるとすれば、おそらくその人物は生と死の境に立たされていたことだろう。

 それは魈がその人物に危害を加えていたという訳ではなく、璃月を飲み込まんとする闇との戦いに、知らず知らずのうちに巻き込まれてしまっていたのだ。


 普通の人間がその戦闘を目にしたのであれば、少なからずその影響を受けることは間違いないだろう。

 それを知った人々が魈に対して恐怖を抱いたとしても、それは彼にとって関係のないことである。

EpisodeⅠ


 魈はいったい何と戦っているのか。

 真実を間接的に表現するのであれば、それは過去の憎しみ、実現できなかった願望、敗者の嘆きと言えるだろう。


 逆に直接的な言い方をすれば、それは七神制度が確立される前の魔神戦争中に敗れた魔神の残滓である。

 それらは岩神モラクスに敗れ、盤石に築かれた彼の勢力によって鎮圧された。


 しかし、魔神というのは不滅の体を持っている。

 その意識は消えたとしても力と憎しみは大地に残り続け、その穢れが徐々に民の暮らしを脅かすのである。


 ──靖妖儺舞せいようなぶ

 真実を知る璃月の実権者は、魈が戦ってきた幾千の夜をそう呼ぶ。


 それらの争いに勝者はいない。

 そして終わりもない。


 魈の終わりなき戦いに立ち会う人もいなければ、彼に感謝する人もいないのだ。

EpisodeⅡ



 魈という名はこの夜叉の真名ではなく、とある人物が安全のために付けた偽りの名である。


 かつて、若く何も知らなかった少年は魔神に弱点を突かれ、その支配下に置かれていた。

 そして、ありとあらゆる残虐非道な殺戮を強要された。


 彼は数多の命を殺め、理想を踏みにじった。

 敗者の夢を強引に飲み込み、人々に絶望を与えた。


 少年は苦しんでいた。

 しかし、体が思い通りに動かない彼には逃げる術がなかった。


 やがて魔神戦争の戦場で、夜叉を支配する魔人とモラクスが出会った。

 歴史ではこの戦争の結末について、このように語られている。

《岩王帝君》は夜叉を解放し、彼に「魈」という名を与えたと。


『魈というのは、異邦の伝説で数多の苦難や試練を経験した鬼怪という意味だ。お前はまさにそのようである。今後、その名を使うといい』

EpisodeⅢ


 岩神に恩を返すため、魈は璃月を守ることを選んだ。


 邪悪な魔人に支配され続けた長い年月の中で、かつての優しさと無邪気さは消え失せていた。

 今の彼には殺戮によって血で染められた腕と、その技術しか残っていない。


 しかし戦いというのは、魈が璃月の人々のためにできる唯一の選択肢である。

 では、そんな彼のために人々ができることは何かあるのだろうか。

 一部の人間の中にはそのように思う人もいるかもしれない。


 だが、普通の人であればそのような発想に辿りつくことはないだろう。

 なぜなら、魈が放つ雰囲気に怯えて逃げてしまうからだ。


 もし、彼に感謝を伝えたい人がいるのであれば、方法が無いわけではない。

 降魔夜叉を支援する七星の部下が、「望舒」という名の旅館を表向きに経営している。


 魈は稀にそこで杏仁豆腐を食べているのだ。

 彼がそれを食べている際に浮かべる表情を見ると、よほど好きなのであろうということがわかる。


 たが、魈はその甘さに夢中になっている訳ではなく、その味がかつての夢と似ているのである。

EpisodeⅣ


 魈はいったい何と戦っているのか。

 璃月の実権者は彼が、魔神の残滓によって引き起こされる現象と戦っていると考えている。


 しかし、魈に直接そのことを聞くことができれば、真実はそうではないかもしれない。

 かつての魈は邪悪な魔神に支配され、操られていた。

 岩王帝君と出会い、彼に救われたことで自由を取り戻した。


 魈の仙力は仙人の中でも上位であり、妖魔の退治は彼にとって難しいことではない。

 だが、魔神の執念は強力なものであり、その残骸から不浄なる者が現れ続ける。


 それらを倒していくうちに、飛び散った穢れが魈の精神に蓄積されていく。

 その穢れを消すためには、それらの「業障ごっしょう」を背負わなければならない。


 長年蓄積され続けた業は心を焼き、骨を蝕むほどの苦痛で魈の肉体を苦しめた。

 それでも彼は何かに対して憎しみを抱いたりはしていない。


 2000年を超える命からしてみれば、全てのものは瞬く間に消えてしまうものでしかない。

 千年経っても消えない憎しみはなく、千年かけてまで返し切れない恩もない。


 長い旅の中で常に己と共にあるのは、いつだって己だけである。

 魈の戦いには意味がある。


 彼はずっと、自分自身と戦い続けているのだ。

EpisodeⅤ


 魈はいったい何と戦っているのか。

 旅人はそのことをよく理解している。


 魈が璃月の人々を脅かす闇と戦い、璃月を守っていることを知っている。

 ならば、誰が彼を守ってあげるのだろうか。


 かつて、魈は一夜にしてすべての力を使い果たし、敗北寸前の状況に陥ったことがあった。

 激戦によって荻花の海がほとんど吹き飛ばされたが、疲労困憊になりながらも勝利を収めた。


 魈は地面に突き刺さった槍を引き抜いて帰ろうとするが、元より帰る場所はどこにもなく、ただ戦場から立ち去るだけであった。

 衰弱しきっていた魈はその身を魔人の邪念に蝕まれ、発作が起きる寸前だった。


 心の奥底から湧き出る憎しみが魈に絡みつき、抗えば抗うほど耐えがたい激痛が彼に襲い掛かった。

 やがて、限界を迎えた魈は荻花の茂みに倒れ込み、少しづつ意識が遠のき始めた。


 だが、不意に笛の音が鳴り響き、彼を苦しめていた痛みが突如消えた。

 魈が自身の力で業障を振り切ったのではない。

 謎の音色が彼を苦痛から解放し、救ったのである。


 澄んだ音色は大地を優しく撫で、そよ風に乗りながらここまでやってきた。

 夜明けの光や鳥の羽ばたきと共に、笛の音色が徐々にはっきりと聞こえるようになった。

 音に乗った力は魈の心を少しづつ落ち着かせ、彼を守護し、しばしの平穏をもたらした。


 助けてくれたのはいったい誰なのか。

 気にならない訳ではなかったが、魈は深く追求しなかった。


 なぜなら、彼の中に漠然とした心当たりがあったからだ。

 以前にも魈を救った力持つ者がいた。


 それは俗世に君臨した七神の中の一柱。

 恐らく今回も彼だったのかもしれない。

空遊餓鬼布施法


 スメール教令院の学者が璃月の民族に関する研究を行った。

 研究の結果はスメールと璃月にある2種類の「璃月岩間国土紀行」という本にまとめられている。


 そのうちの璃月版は「匣中琉璃雲間月コウチュウルリウンカンゲツ」へと名称を変え、巫術ふじゅつと神秘的な内容の大半が消されている。

空遊餓鬼布施法クウユウガキフセホウ」に関する内容は、スメール教令院にある完全版にのみ記されている。


 その本によると、《仙衆夜叉》は凄まじい仙力と威厳を持つが、「業障」を背負う故に多くの苦しみと恐怖を経験している。

 それは幾千万年も消えない空遊餓鬼の苦しみである。


 また、その他にも夜叉仙人をなだめる方法が書かれている。

 例えば、食の奉納や音楽による布施などがある。


 それらの仕来たりをなせば夜叉は笑みを浮かべ、人々の平穏を守ってくれる。

 仙人の中で貴族に当たる夜叉は戦いが得意であり、歴戦の将軍が如き姿で戦場を駆け巡る。


 しかしこの千年近くは戦乱が多く、夜叉一族も滅亡寸前の危機に陥っている。

 璃月では今なお降魔夜叉の巨象が残っているが、すでにその顔は無惨にも破壊されている。


 なお、スメールの学者が書いた本の内容はとても難解であるため、テイワット観光ガイドやエル・マスクの書いた各国の風土記ガイドに比べると、その人気は遠く及ばなかった。

神の目


 仙人の全称は《三眼五顕仙人》である。

 三眼とは生まれつき持っている両目のことではなく、神の目を指している。


 果たして、仙人が神の目を授かるというのは、人間がそれを授かるのと同じ感覚なのだろうか。

 だが、魈はその時のことをすでに忘れている。

 神の目の出現は人間にとっては忘れることのできない特別な瞬間かもしれないが、魈にとってのそれは無数にある戦いの前奏に過ぎない。


 彼が本当に忘れられないのは別のところにある。

 それは祭りの真実である。


 人々にとって世の中の祭りとは喜ばしいものであるが、その背景に隠された物語を覚えている者はほとんどいない。

 大半の祭りは、人食いの怪物が仙人によって退治された日である。


 元々は人々が仙人の真似をし、英雄を讃える記念として妖魔を祓う儀式だった。

 それが時間の流れにつれて、祝祭へと変化していったのだ。


 モラクスに鎮圧された璃月各地の魔神は、時に異様なまでの怒りと憎しみを爆発させることがある。

 その中でも、海灯祭の夜は常軌を逸していた。


 魈は靖妖儺舞を行い、海灯祭の夜は魑魅魍魎ちみもうりょうとの戦いを繰り広げる。

 彼が海灯祭を嫌っているのは、それが原因なのかもしれない。


 だが、魈は決して戦いを恐れない。

 なぜなら、これまでがそうであったように、努力で璃月の平和を保つことが出来ているからだ。


 そして人々は町中に霄灯しょうとうを掛け、祝福の光が夜空と海を明るく照らす。

 その瞬間、魈の心の中にも言いようのない特別な感情が湧き上がる。


 それは寂しさか、それとも安堵か、あるいは未来への恐怖か。

 少年の姿をした仙人は自分に問いかけるも、その答えは見つからなかった。

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